きみのナワ。

イラストレーターになろうとじたばたしてる画学生です。ナワリョウガっていいます。

いつもこんなだから絵はコスパ悪いのです

   ちょっとうれしいから書かせて。

   てか見て。

 

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   昨日1時間と今日の4時間の成果です。

   さらにこのあと手直ししたんだけど、大まかにはこんな感じに。

 

   描いてるぼくにしか、これが何に必要なのか、どういう風にたいへんだったのかわからないと思うんですが、これが何か、何の絵なのかだけ。

 

   これは、いわゆるアール・ヌーヴォーとかそのへんの、曲線的な植物模様です。

 

   太陽の力で芽生えている植物の象徴として、背景にこういう模様を配置したかったのです。

 

   でも、何の植物を書くわけでもなくリアルに描くわけでもない、いわゆる抽象的な模様なわけですから、「どんな形にするのか」、「どんな太さや角度にするのか」など、正解がない中で模索しなければならなかったわけです。

 

   いってしまえば究極にデザイン的。

   単純に、見て気持ちいい模様を描きたかった。

 

   たいへんでしたが、ある程度形になったので、さらにこれを詰めて描いていきます。

   あれを鏡写しにして、左右対称で描きます。

 

   今までたまに挑戦してきたけど、初めていい感じのものにできた感があります。そういう意味でも習作としていい役割を果たしてくれました。

 

   このままがんばろう。

マメに唄えば

   今日は母親とカラオケへ。

   

   前から何度も誘われていたのですが、18歳か19歳かそこらの青少年が母親なんぞとカラオケなんぞに行くことなんぞするはずもなく、断り続けておりました。

 

   しかし今回誘われたとき、偶然海外研修の納入の書類に母親が目を通しているところで、「そっか…スポンサーなんだよな……」と再実感。

   すごく断りにくい心境となり(まあカラオケですら母親の金なんだけど)、付き合うことに。

 

   久々だったし、それなりにそれなりでした。

   まあ、半年に一回くらいなら…。

 

   そのあと母親はジョイフィットに行き、別れて1人帰宅。

   しかしそこで問題が発生。

   「家の鍵を持っていない」

 

   母親とでかけるときは持って行かないクセがあるのがあかんかった。

   祖父母もでかけとるようで、道が混んでたからということで引き返して来た母親に開けてもらうまで、1時間くらいブラブラしておりました。

 

   肌の荒れも治り、悠々と久々の散歩。

   暑かった。けどいい運動でした。

 

   そんなこんなで、家にこもって課題をやってるよりかは肉体的に疲れました。

   

   午前中しか課題してないっていうか、昨日の夜ランニングしたら朝が猛烈に眠くて起きるのが遅く、1時間しかできてなかったのですよね。

 

   明後日は某人が泊まりに来るし、金曜には親友と食事するし、先週も今週もアウェーです。

   こんなんでいいのかな。

   とりあえず明日またがんばろう。

 

   ちなみに母親とカラオケ行くのが嫌な理由の1つは、僕もそこそこ上手いのだけど、それよりはるかに母親が歌が上手いからです。

 

   屈辱なんですのよ。おほほ。

平成課題合戦その2

   (なんで明日母親とカラオケ行くことになったんや……)

 

   今日はロハスコンテストの作品のやりなおし。構図と色を調整するため、原画を描き直します。

 

   だらだらやってたせいか時間はもう午後3時、別に誇れるほど進んでいるわけではありません。

   ちなみに起きたのは6時。はやーい。

 

   こんなペースでいいのか?と思いつつ、お盆も迎え夏休みはもう後半戦に差し掛かる頃合い。

   明日カラオケ、水曜日にはまた人が泊まりにきます。

 

   ちゃんと意識して課題を進めないと…せっかく生活習慣も元に戻ったんだし。

   ちなみに人を二晩泊めたのと、その人を送ったそのあとに夜中の3時まで高校の同窓会してたせいで、四日間くらいなにもできてないのでした。てへ。

 

   毎朝やろうと(力むとやりたくなくなるから軽い気持ちで)思っていたクロッキーもこの数日間はできず、今朝ようやくまた早起きして朝イチでクロッキーをやる元の生活に戻れたのでした。

 

   さて、あとは遊びと制作のバランスを取る訓練だ、ということなのかな。

   そろそろぼくも少しは器用になってもいい頃合いなんじゃ。もう19歳なんじゃから。な。

 

   そんな中でもいつも通りたっぷりYouTubeは毎日見ていて、最近はやたらと「山田玲司ヤングサンデー」にはまっております。ああいうのやりたい。

 

   あとは米津の「打ち上げ花火」が上手い曲だなーいいなーとか思ってたり、星野源のラジオの猥談を聞いたり。    

   入院中ナニができなかったはなしとか、ラッキースケベタイムと名乗って宇多丸さんのラジオにいろいろ送ってたはなしとかおもしろかった。

 

   こうしてブログ書いてるのも実際サボりの一環なんですよねぇ。描けよはやく。

   

   ちょっとかつを入れよう。

   前にBSで手塚治虫没後20周年記念特集で放送した、「手塚治虫 創作の秘密」の録画でも見よう。

 

   命削って描いてるあの大天才を見習え!!

   はい、わかりました。

 

                 

   おまけ:日頃のクロッキーの成果

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   むずかしいポーズもぼくかけるよ!

   

 

   

トトロはやっぱりこどもの理想だった

   なんでこどもに自然が必要なのかわかった気がする。

 

   いま、2歳とかそこらのいとこ2人が、40歳くらいのおじちゃんとその奥さんに連れられて、自宅に来ています。

   墓参りの帰りで、彼らからすればここはおばあちゃんの家。

   2人とも男の子です。

 

   はっきりいって、かなり生活が窮屈そう。お母さんはたびたびイライラしてるし、こどもは「もーやだー」とかいっていて、(こども故に)言葉にならない、退屈や閉塞感を感じているようでした。

 

   こどもに大人の生活は狭すぎるんですよね。でも親戚の家に行ったときや、自分の家にいるときですら、お母さんにとって一番ありがたいのは「じっとしていること」。

   大人である自分と同じように振舞ってもらわなければ困るわけです。

   家というのは基本的に、大人が大人のために作った空間だから。

   親戚付き合いや来客と家主の語らいなどのコミュニケーションも、こどもからすればとても退屈で、それに付き合えという方がたまったものではないというところでしょう。

 

   こどもでありながら大人と同じ振る舞いを求められる。こどもならではのやんちゃな振る舞いをしてしまうと、怒られる。

   それがしつけというものなのだけれど、「大人になるのに必要なしつけだから」叱ってるのか、「じっとしててほしいのにやかましいから」怒っているのか、お母さん自身、考えたことはないように思えます。

 

   ぼくはほとんど騒がず、おとなしくお母さんのそばにいるタイプの物静かな男の子でした(実母談)。

   それはおそらく、ずっと父が他県にいて兄弟もなく、母親と2人暮らしだったからだと思います。

 

   唯一の家族である母親との関係を良好に保たなければ、自分の命すら危ういという状況なわけです。

   そういった、「母親からの愛を失えば全てが終わり」な環境に自然と適応し、母親の手を焼かないこどもになっていったのだと自己分析しています。

 

   しかし彼らには父親があり、兄弟があります。やんちゃになるのも無理はない。

   お母さんもさぞたいへんなことでしょう。

 

   しかし大人の都合はこどもには関係ありません。こどもには都合を理解する知識も何もないわけですから、どうしても大人が都合よくさせようと思えば、絶対的な強制をするしかありません。

 

   だからこそ、きつく叱ったり、大きい声を出したりするんだと思います。

   でも、先述の通りこどもからすれば理解できない、世界からの抑圧でしかないわけですから、彼らの目に世界は広く写っていないと思います。

 

   家も街も公園も狭い。

   おもちゃや絵本も飽きるたび与えればキリがない。

 

   つまり一番必要なのは、泥んこになれて、走り回れて、水を投げたり石を蹴飛ばしたりできる、自然環境という遊び場だと思うのです。

   

   自然が無いところでのびのびと子育てしようにも、無理があると思う。

   彼らも十分「地方」と呼ぶに足るところに住んでいるけど、すぐ近くに山や森が果たしてあるかな。

   彼らが産まれて少し後に病院へ見にいきましたが、周辺は地方とはいえ、かなり整備された街でした。

 

  舗装され、建物が立ち並び、どんどん大人にとって住みよくなるこの街並みも、こどもからすればただただ窮屈でしかないでしょう。

   お金もなければ等価交換の概念を理解すらしておらず、何も知らないうちに迷惑をかけてしまう。

   大人のための空間が次々に自然を侵食し、大人と同じ振る舞いができなければ「迷惑かけてすいません、めっ」とこうくるわけです。

   ミスマッチも甚だしい。

 

   世の中はこどもにとって生きやすい世の中ではない。

   こどもにとってもストレスだらけ、その結果お父さんもお母さんもストレスだらけ。

 

   必要なのは広さ。自然の荒々しさ。

   人工物は繊細でもろすぎる。そして値段がついている分、価値がありすぎる。

   ぼくはそう思います。

 

   人口が増えすぎてる時代に、少子化だからといってこどもが必要なんでしょうか。必要だとしても、必要とされて産まれて来させられたこどもたちに、この世界は幸せなんでしょうか。

   少子化とはいえ少ないのはこどもだけです。世界は大人に満ち溢れ、みんながこどもに迷惑をかけられたくないと思っている。

   ものと人に溢れて狭い。息苦しい。

 

   人間が減った方がいいのは世界規模で見て当たり前のことです。

   ぼくより年下であればあるほど、「嫌な時代に生まれたね」と気の毒になっちゃうなあ。

 

   ぼくも年上に「君達はいい時代を知らない」と言われてきたけど、いい時代を知らずに今の時代が悪い時代だと認識することはできない。

   そういう理屈でぼくは、特に今の時代そのものに不満を覚えたことはないのです。昔に生まれたかったとか、そういうことは思わない。

 

   それは彼らも同じで、自分たちの時代が昔と比べていいか悪いか、判断しようがありません。

   それに、いまは彼らは幼稚園児。なおのことです。

 

   車や大人が行き交い、壊れやすい人工物に溢れ、自分に害をもたらすものに囲まれ、その抑圧に耐えなければ大人に愛想を尽かされてしまう。

   こどもって、なんてかわいそうな生き物なんだろうと思います。

 

   「こどもがいる幸せ」というのも、なんだかへんです。

   こどもって、大人を幸せにするために産まれるんでしょうか。こどもがいる幸せが欲しい大人に生まれて来させられて、こんな世の中で大人しく押さえつけられるこどもたち。

   人間ってなんだか、なまじ文明社会をもってしまった分、業の深い生き物です。

 

   そんなことを、いとこを見ててつらつら考えてしまった。

   ぼくも相当ひねくれた屁理屈野郎だと思うけれども、これが100%事実じゃないと誰が言えるだろう。

   

   少子化も同性愛も生涯未婚も、本当に正しいと思う。

   自然環境も親への社会的リソースも限られるこの世の中で、なんでみんながこどもを持たなきゃならないのでしょう。

 

   将来の日本のためにこどもがたくさん必要なんだとしても、なんで日本なんぞの都合にいいようなこどもでなければならないのか。

   なんで日本なんぞの将来に貢献せにゃならんのか。

 

   もっと視野を広く、世界のために。

   そして全ての未来のこどもたちのために。

 

   結婚や出産、子育てに関心のある方は、以上のことをどうか、頭に入れておいてほしい。

   押井監督のような「親には資格が必要だ」なんてことは敢えて申しません。

   ただただ、人として深い教養と広い視野と、余裕のある心をお持ちくださいませ。

 

   ぼくは絶対にこどもはいらない。

   そう思わずにはいられません。

 

 

   

   

 

   

かなり偏った書評「わたしのかたち」中村佑介対談集

   本が、本が読みてえ。

 

   さすがAmazon、ぼくの活字飢餓に敏感です。「まってました、三河屋です」とでもいったかんじで届いたのがこの本。

 

   中村佑介対談集「わたしのかたち」。

 

        わたしのかたち 中村佑介対談集

 

 いい表紙。中村さんの本を買うのは画集とイラスト教室以外では久しぶりです。

 欲しい本はたくさんあるんだけど、とりあえずぼくのいる文化圏での話題性という意味では一番の新刊だったので、真っ先に購入しました。

 

 とりあえずおもしろいです。しかしなんでおもしろいというと、「イラストレーション」内で行われた対談がそのまま載っているからなんですね。

 

 「イラストレーション」は業界誌ですから、この本の方が大衆性はあると思います。

 しかしながらイラストレーション誌は我が校では教科書として学費で支給されます。その上過去のバックナンバーが教室の本棚にぎっちり詰まってるので、普段からぼくみたいな人間は読みあさっていたわけです。

 

 そういう意味では、読んだことのある対談だらけで少し拍子抜け。

 というより、イラストレーション誌の方が、色やフォントや文字の大きさなどが工夫されていて、読んでてテンションが伝わってくる分楽しい。

 

 しかしながら、逆に言えば対談をとりあえず読めればいい場合、そうしたバックナンバーを買わずに済むという意味ではありがたいです。教室にあるバックナンバーは当然学校のものなので、欲しいから買いたかったんですよ。

 でも対談記事一つのために購入するのもなんだなあという気もしていたので、こんな形で手に入ったのはうれしい。

 

 読んだことがない対談については、そもそも対談相手がどんな作品を作る人か知らないので、その点でも意味がありました。

 特に山本直樹さんとかはすごく興味がある。

 さだまさしさんの曲も聴いてみたくなりました。

 

 「師を見るな、師が見たものを見よ」。

 一部の人にとっては本当に読んだ方がいいと思います。

 

 

最期のホームカミング

   ものすんごくだるいです。

   というのも、ここのところ深夜まで起きたり睡眠時間が少ない日が続いたからだろうと。

 

   3日前、家に某人が泊まっていったんですが、2日後の夜にその某人を最寄りの駅に送りにいってすぐに、でかける用事がありました。

   それが昨日の夜のことで、用事というのは高校の同窓会です。

 

   高校にお呼ばれして後輩や先輩、恩師も含め、みんなと交流する公式の同窓会があったのですが、ぼくは「まあ高校の頃の担任も好きな先生も別の学校に行ったし、わざわざ行くこともないかな」と思って行きませんでした。

 

   その同窓会のあと、馴染みの男どもで集まって遊ぶことはわかりきっていたので、ぼくはその段階から参加。

   車を持ってるやつに迎えに来てもらって合流したのが、某人を見送った直後のこと。

 

   結局いえに帰ったのは3時くらいでしたから、疲れて今日は丸一日寝ていました。

 

   某人が泊まりに来てくれたのについてはすごく楽しくて意味があったのですが、同窓会については実はあんまり楽しめてなくて、今回の一件で、「ちょっと今後コミュニケーション控えようかな?」と思うくらい、あんまり楽しくなかった。

 

   ひょっとしたら某人の直後だったからかもしれないんですが、一言で言えば、「ぼくと彼らと、日に日に生き方が違ってきてしまっている」という感じがあるんです。

 

   高校の頃から、ぼくははやく進学したくて仕方なくて、みんなといっしょにラーメンやカラオケに行って時間とお金を浪費するのが辛かったんですよね。

   「最近付き合いが悪い」とかいろいろ言われましたけれども、申し訳なく思いつつ、やっぱりどうしても消費よりは自己投資にお金を使いたくて、ちょっとムキになったくらいに、本や画材にお金を使ってました。

   それこそ、「誘われる前に今月の小遣い使い切ってやろう」とか考えるくらいには、ムキになってましたね笑

 

   あとは結局性格の問題で、大人数で遊ぶのが結局のところあんまり楽しくないんですよ。

   それに、みっともない手違いで行こうと思ってた店に行けなかったとか、買い物にダラダラ時間がかかって仕方ないとか、久々の友達付き合いを楽しみつつ、イライラすることも多かったです。

 

   そして一番は、会話のレベル。

   二人は「彼女欲しい、童貞卒業したい」「ち〇こち〇こ」とかそんなことしか言わないし、「いかにして合コンを攻略するか」しか考えてない。

   彼女欲しいといいつつ、自分のめんどくさい性格と会話センスのなさを自覚してるくせに、「オシャレしなきゃ」とか「唇がでかい、小学生にも笑われた」とかそんなところばかり論って、結局本質的なところを見つめる気は誰にもないみたいなのでした。

 

   問題を解決しようといいながら本質的で根本的な努力や工夫するつもりのない上滑りな議論なんてただの馴れ合いなので、ぼくはほんとにそんなの嫌いです。

 

   結局そのときも言った通り、本質を見ずにどうでもいいことを延々と議論している時点で、彼らは恋愛なんてしなくても毎日楽しいし、なんら問題がないのです。

   結局本も読まなければ成績が特別いいというわけでもなく、その上性格とルックス以外論う気も無いという、徹底した怠惰がそもそもの問題。

   それならそれでとっとと恋愛なんてあきらめて、一生だらだら飲み会をするんで俺はいいんだと開き直れば好きになれるのに、本質の改善から逃げ続けて他のどうでもいいことにこだわり続けるその根性がみっともない。

 

   オシャレするだの顔を良くするだの、そんなことをして彼女ができると思うなんて、「そんな程度でなびくような見る目のない女でいいんです」と言ってるようなもんではないか。

   童貞の何が問題かといえば、自分に興味があるくせに、必要以上に他人にも興味がありすぎることじゃないかと思いました。

   他人なんてもう少しぞんざいにしてもいいんだし、ほんと…開き直ってだらだらしてくれよ。積極的なフリはやめるんだ。

   楽しければいい、だらだらしてるのが正しいと、開き直ってほしい。

 

   そういう食い違いがある都合で、全然はなしについていけない。

   結局ワイ談にAVごっこに華が咲いて、空間はつまらなくなる一方。

 

   親友もそれに参加するでもなく、なんか見てることを楽しんじゃってて、当初の約束通り外に出て散歩したり、うちに来たらする気がない。

   いやになって、途中でだまって帰りました。

 

   彼らも結局、時間とともに「いっしょにいてもなんの意味もない人たち」に成り下がってしまった。

   生き方も考え方も食い違いがますますひどくなり、なんの励みにも学びにも、息抜きにすらならない。

 

   直前まで某人といっしょにいて、すごく美意識の高いやりとりをしていたのもあって、反動がきつかった。

   高校のときは大切だった友達だからできるだけいっしょに楽しむ時間はとりたかったけど、今回で愛想が尽きた。

 

   彼らは彼らで、自分も世の中も嘆きながら似た者同士でお互いをいたわって生きていけばいい。

   親友を除いた5人のLINEの連絡先を消し、全てのグループから抜けて、今後連絡が来ても無視するつもりで、親友すら無視して家に帰りました。

 

   これで清々しました。

   したかった話もなにもできなかったけど、もうどうでもいいや。

 

   さらば楽しかった高校時代。

   ぼくは大人になるよ。

   

 

   

 

   

   

 

   

   

でかける前のひつまぶし

   ごきけんよう。ごきけんようです。

 

   最近書いてなかった。ちょっとロハスの課題と格闘していたもので、特に書くことのない日常を送っていたのです。

 

   先日Amazonから本が届きまして、そのはなしでもしようかと思ったけど、それはそれとして、別の記事として書きます。

 

   いまはちょっと、「うちの祖母って、ちょっと過干渉なんじゃないのかなあ」なんて思っていて、少し辟易しているところです。

 

   こんなこというのはほんとに失礼だと思うし、「普通だよ、こんなの全然過干渉じゃないじゃないか」といわれるような気もします。

 

   たしかに、ぼくは高校三年生までずっと母親と二人暮らしをしていた関係で、自分で食事を作ったり洗濯したりすることには慣れてますから、どのくらいから過干渉なのかという感覚は、正直麻痺っているところもあるかもしれません。

 

   好き勝手やる癖がついたという意味では悪影響だったのかもしれませんが(笑)、とにかく祖母になにかを頼ることは、ほんとにありません。できないか、わからないときだけです。

 

   そこで思うのが、ぼくがそんなだから、ますます祖母はぼくにかまうのではないのかということ。

 

   これもこれでほんとに失礼な言い方ですが、まぎれもない事実として、「家族に頼られなかったら、祖母の自尊心やアイデンティティにならない」という問題があるような気がするのです。

 

   主婦というのはほんとにかわいそうな存在だなあと思っているので、そこらへんについてもまた今度、例のかたくてなっがい文章でまとめようと思います。

 

   この話題は、世の中に広く存在する地味な仕事にも関わってくるので、書いてておもしろくなりそう。

 

   さて、今回は久々に更新したくなったのと、単に暇つぶしです。むだに伏線を張ってしまったけど。

   時間になるので、さあでかけよう。