ナワをつぐもの。

イラストをやる人ですが、ここでは主に考えてることやエッセイなどを嗜みます。

単位「今夜は寝かさないよ」

今週のお題「芸術の秋」

今日もお題でやってみましょう。

 

最近は、映画も観ていないし新しく本を読んだりもしていないので、なかなか「ああブログ書きてえ」とはならない毎日です。

しかしそんなぼくもデザイン学生ですので、秋も飽きも関係なく(ナワくん渾身のry)芸術三昧の日々を送っておりますよ。

 

そういう意味で結果的に近況報告をする流れになるんですが、最近も最近でなかなか忙しいです。

というより、卒業制作が本格的に始動して、いよいよ大詰めというところでしょうか。

 

いまは火曜日の授業の課題と、水曜日の授業課題がすごく大きのがありまして、土曜日もそれをやっていたかんじです。

先週以前は、それらの大きな課題がスタートしたのと同時に10月末にターナーアワードの第一次審査の締め切りがあり、締切日にはもう一泊二日の研修に出かけるといった具合で、目が回りました。同時に、「ああ、ちょうど去年もこんな感じだったなあ」とも思いましたね。

 

去年のその頃は(今頃もですが)、病院内で食器洗浄のアルバイトをしておりました。

今はやってないんですが、あの頃の学校とバイトの両立と同じくらい、先月は大変でした。

今年は特にターナーアワードの制作時間が劇的に短く、その他の授業課題も重たいものばかりで、正直キャパシティ超えてました。さらにぶっちゃけると、完成させることもできないままに終わってしまう結果となりました。残念。

去年がクオリティ的に悔しい結果だったので今年こそはと思ったのですが、去年以上に出来が悪かったです。

進歩した点があるとすればアイデアにかけた時間の長さですが、実作業がそのせいでほとんどできなかったことを考えれば、五十歩百歩というところ。

 

学生限定のコンペなので、もう応募することはできません。一切の栄誉を知らぬまま、ぼくは学校を卒業します。かなしいなあ。でも仕方ない。

 

そのリベンジも兼ねて、なんとしても卒業制作は頑張りたいというところ。

ラフのクオリティをまず高くして、本制作ではラフ以上の完成度と密度でやりたいですね。

中村佑介さんは、ラフと完成作品のクオリティをほぼ同じくらいに制作されますが、あれは本当にメリットがあります。ぼくも実際、完成させて初めて、もっと描き込みたかったとか、このモチーフを変更したいとか、色を変えたいとかということがありますから、ラフにも同じクオリティを出せればそういった修正も可能になります。

ただ、専門学校のような過密スケジュールでそれができるかというのは疑問ですが。

 

一つの課題にたっぷり時間をかけたいというのは、おそらくほとんどの学生が思うところであります。しかしながら、課題の平均的な制作時間は短い。うーむ。卒業したら自分で頑張るしかないですね。

 

ひどいときはその日のうちにとか、水曜日に出た課題を今週中にとか、そんな締め切りもあります。先生曰く「デザイナーはこういう急な仕事がほとんどです」ということらしいけれど‥‥。

 

ぼくはちゃんとした実力をつけたいので、プロと同じことをする練習を反復するよりも、ちゃんと長い時間と集中力で一つの作品を完成させ、実力を伸ばし、同じ制作時間で仕上げられるクオリティを時間とともに上げていきたいのですが、そこが専門学校の方針と食い違うところなのかもしれません。

 

うちの学校も就職に全力を挙げていますし、たくさんの検定受験や、コンスタントな課題提出などもあり、とにかく即戦力の育成が大前提のようです。

企業のニーズがそもそもそこであるらしいので、就職が前提なら仕方がない。

 

ぼくのような就職しない組は、付いて行くのもたいへんです。

 

急いで仕上げて、本来の実力の70%のクオリティなんだけど、それでもお金と交換するのに堪えるクオリティにできるようにする。中村佑介さんは、それが大事だとおっしゃっていました。

それには、「本来の実力」とやらをとにかくあげないといけないのです。

早く仕上げる訓練だけして、長い時間をかけてもせいぜい1割増のクオリティというのでは、就職してもその後が見えないんじゃないかな。

 

なーんてことを考えたり。

完全に課題が進んでないことの言い訳ですね笑

 

笑い事ではないんだ……やらねば‥‥‥

とにかく、卒業せんばねーこって。

 

私には言いたいことがある!

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

やってみようと思います。

 

 

ふと思うことがあったとき

 

目の前で起こったことや自分が体験したこと、会った人のことについてなど、自分に入ってきた情報をきっかけに、問題提起や自己分析、法則性の発見などが、ある程度のまとまりになって浮かんでくることがあります。

 

ぼくはそんなとき、Twitterの少ない文字数で投稿するのが苦手ですし、リプという形で長々と書き連ねるのも、それはそれでTwitterでやる意味がないと思う。

 

なのでそんなとき、ブログを書きたくなります。

 

 

映画や書籍などの感想を言いたくなったとき

 

こういう刺激を受けて、玉突き現象のように言葉が口をついて出てくることは、誰でもあると思います。

ぼくも全く同じで、ただ上述の理由で、長く書きたくなってしまうだけですね。

 

 

続くか不安になったとき

 

ぼくは小学生の頃からネット環境があったので、ブログにも関心がありました。

最初は「一畳プラレール」というブログが好きで、自分もプラレールで真剣に遊んでみたくなったのがきっかけで、ブログをやっていました。

 

しかしその後、続かなくなる→ブログを消す→新しくはじめて仕切り直す→というループに突入。

その経験から今では、「続かなくなるかもしれない」という不安も、モチベーションの一つになっています。最近また停滞しているので……。

 

 

はじめてお題で記事を書くことにしました。

最近ネタがなかったり、うまくまとまらなくて下書き保存してそのまんまになる記事ばかりで、更新が滞っていたからです。

 

自分の考えや言いたいことを、伝わるべき時に伝えられる能力を育てるには、日頃からアウトプットに慣れておく必要があると思うんですよ。

たとえば、就活で面接の練習が必要な理由も同じで、普段から自分と同じような人とツーカーのコミュニケーションをしていて、改めて自分の考えをわかりやすく、聞きやすく伝える必要がない生活に慣れきっているからですよね。

 

ぼくはYouTubeひろゆきさんの話を聞くのが好きです。

そのときみた動画の出典はおそらくニコニコ生放送だろうと思うんですが、そこでひろゆきさん以外の方がしゃべっている時に、伝えられる、聞いてもらえる力の差をすごく感じました。

 

ひろゆきさんは一切どもったり噛んだりせず淡々と意見を述べられるんですけども、他の人は自分でも言いたいことがうまくまとめられていない。その上ひろゆきさんにいつのまにか刺激されて、この人と同じくらい賢いことを、いい感じで言わなきゃみたいなプレッシャーに襲われていて、実力以上の発言をしようとしてしまうんですよね。

 

だから、力んでいることだけは伝わるんだけども、肝心の意見そのものはスムーズに伝わってこない。

これは、普段から自分の意見や人間性を言語化したり、まとめたり、伝えたりしているかどうかの差だと思ったんです。

 

ぼくも、これが足りてない。

だから例えばひろゆきさんに会えるというようなラッキーがあったとしても、全然それを活かせないと思う。

だからこそ、自分の意見をスムーズに言える練習をしようと思ったんです。

 

コミュニケーション能力というより、言いたいことがあることの方が、コミュニケーションには重要なんですよね。小手先のコツより、内容。

で、自分は何を言いたいのかっていうのは、言ってみないと案外わからない。

 

人間はそういう生き物らしいですからね。

とにかくしゃべろう、書こうってこと。

そういう心がけでいようと思います。

 

お題っていうのはその意味で便利。

これからもお世話になろうと思います。

学校がはじまったらすぐに更新しなくなるこのわかりやすさ。

 

とにもかくにも課題づくしで、かつ研修旅行も重なると、相変わらずのハードスケジュール。

もういっそ、夏休みや春休みなんてなくていいからもっと余裕あるスケジュールでやりたいレベルです。

 

そんな感じで、書く暇がない…というわけでもないけど、書くという発想自体をそもそも忘れてしまいました。

頭の中は常にやることでいっぱいです。

 

しかしそんな生活に、プライベートのとある一件で、さらにストレスが発生。

少し暗雲立ち込めています。

 

2月の時点で、男性としては標準、あるいはそれよりは少し長いくらいの髪の毛でした。

そろそろ切ろうかなあというくらいの長さでしたが、なんとなく伸ばしてみることを決意。

半年たたないくらいでゴムで結べるほどになり、最近までに、後頭部にぶら下がる尻尾はどんどん成長していました。

 

しかしぼくはその間、とある人のとある要望をずっと受け続けていました。

それは、「後ろと横を刈り上げてほしい」。

 

その人は鳥肌実という人が好きだそうです。ぼくも知らなかった。有名ではないと思う。

しかしその人は鳥肌実という人の髪型と目つきが好きだそうで、ぼくの目つきもなんとなく近いそうで、あの髪型にしてほしいそうで…。

 

でもってナチスの軍人がどうの北朝鮮がどうの、なんだかぼくには理解できない趣味をいろいろお持ちで、自分好みにぼくをカスタマイズすることに余念がないその人。

鍛えて軍服着てほしいとかなんとか、リクエストは絶えません。

 

でもって、夏休みくらいからずっとずっと、あんな髪型にしてほしい、してほしいと、何度断ってもしつこくしつこく、頼まれていました。

あそこまで諦めずに、懲りずに頼まれると、ぼくの性格上「喜ぶ顔が見たいなあ」と思ってしまうのです。

そうして先日、折れました。

 

つい先日まで、前髪を左寄りに垂らしてポニーテールにしていたぼくが、鳥肌実ヒトラーのような、過度な刈り上げに長い前髪。

「尻尾が無くなるだけだから、シルエットではそんなに変わりないから」と言われていたのが完全に嘘だと思うくらい、盛大に印象が変わりました。

 

自分ではあの人の感覚はよくわからないので、美容室に同行してもらい、スタイリストにぼくの代わりにあれこれ言ってもらいました。

明らかにスタイリストさんは困惑していた…ような気がします。

「いいようにされてると思われてるんだろうな…」とか思ったりして、ずっと嫌な汗が。

 

平静を装いたかったものの、つい落ち込んでおりました。

するとあの人にも良心はあったらしく、文字通り「泣いて」謝られる始末。

これで、わがままの限度を知ってほしいという思いもあったので、今後はもう少し自重してもらえたらいいですね。

 

ぼくはイラストレーター志望なので、「わかる人にわかればいい」とか「好きな人は好き」とか、そういうものを作ったりやったりするのには、最近は興味がないのです。

 

好きなミュージシャンは星野源推してるゲーム会社は任天堂

「みんなに」愛されているものや、人を選ばないものを作ろうと努力している人が大好きなんです。

 

だからいくら、今の髪型をあの人にべた褒めされようと(されています)、あるいはそういう趣味を持っている人にいくら

褒められようと、ぼくはそんな狭い世界には興味がない。

この髪型で例えば企業訪問なんか絶対にしたくないし、先生と面談すらしたくない…。

 

髪型や服装は人間性を表すものだと思っていて、好きなものより似合うもの、というのがぼくの主義です。

似合うというのは、容姿や性格も含めて。

そういう意味では、いまの髪型は完全に、ぼくのキャラではない。

 

前の髪型はぼくの性格に合っていたし、ぼくも気に入っていました。

「尻尾がなくなるだけ、結んでたのが刈り上げになるだけだからシルエット的にはいっしょ」という言葉だけが希望で、念を押して確認をとっていました。

しかし元からそうなるはずはなかったのか、あるいはスタイリストに注文しながら暴走したのかはわかりませんが、結果的に似ても似つかぬありさまに。

 

家族にもクラスメイトにも、道行く人にすら見られたくないなあ。似合う似合わない以前に、「こういうキャラ」と思われるのがほんとに嫌です。誤解以外の何者でもない。こんな個性の人ではないですぼくは。

 

しかも別に強制されたわけではないので、あくまで根負けして「自分の意思で」切ったわけなので、まちがってもあの人を責められないという二重苦。

鏡を見る、あるいは髪について考えるたびに辛いです。だから褒められても辛い。

 

はけ口のないモヤモヤを、せめてここに発散させてください。

はやくこんな髪型から脱したい。

もとの長さにするまでには、また1年以上はかかるはずです。

 

伸ばしてた頃の目標は、ヘアゴムで結べるまで、でした。性格には、そのとき理想としていた髪型ができるまで。

 

伸ばし直す上で設定する目標は、「お団子ができるまで」にします。

あるいはかんざしでとめられるまで。

 

ほんとに…あの人には、ごめんなさい。

理想が違うんです。共存しましょう。

うまいものを食うのは正義ゾイ

モロボシダンの名を借りているコンビニといえば?

 

そう、セブンである。

 

はるかな星がふるさとである故、食品系セブンオリジナル商品のクオリティは高いのである。

 

最近は疲れからか、蒙古タンメン中本のカップ麺がやたらおいしいです。

今朝も食べたし、2時44分である今も食べました。いやあおいしい。

世の中のカップ麺の中で一番好き。

 

クラスの男子は今度の東京への研修旅行で、中本のラーメンを実際に店に食べに行こうとしているみたいですね。

たしかにいい機会だ。

ぼくもいってみようかしら。

 

あとは、チキンバーガーがおいしかった。

以前食べたマッシュルームソースのはみ出しチキンバーガーがすごくおいしかったから、新しく売っていた、ケイジャンチキンバーガーとやらをつい買ってしまいました。

 

中本のカップ麺にはまってしまって以来、辛いものが好きになったぼくの目に飛び込んできた「辛い」の文字。

いざ食べて見たら、前のはみ出しチキンバーガーと同クオリティのチキンと、ソースから香るタバスコの風味がすごく合っていて、おいしかった。

 

セブンはゆず辛チキンもおいしいし、鶏肉系はハズレがないですね。

 

コンビニATMという改革を起こし、コンビニコーヒーという市場を開拓し、こんなにおいしいオリジナル商品を多数展開するセブンイレブン

こんなに素晴らしいコンビニがほんとにあるのか。

 

結論、ぼくはやっぱりセブン推し

 

 

静けさのあとの嵐

「終わらせた仕事よりも、終わらせていない仕事の方が人間を疲れさせる」ということばをtwitterで見て以来、出典も忘れましたが、ことあるごとに思い出します。

 

実際、思い返せばかなりの実感を伴う言い方です。

今までも「そうだったなあ」だし、今も「ほんとにそうだよなあ」です。

 

実際、いまぼくはちっとヤバイ(入学以来五本の指に入るくらいヤバイ)んですが、なぜかというと、頭の中がいま抱えている課題とこれからの課題と、その他研修旅行やらなにやらでいっぱいになっているからです。

 

学校から帰ってきて疲れている暇もなく、今もぼくは課題と格闘しています。

それだけでなく、来週の月曜日のための課題や自分でやりたいことも含め、土日もやることでいっぱい。

 

ターナーアワードのような大作も控えており、二学期早々言い渡された、コミックイラストやイラストレーションの最終課題もものすごいボリュームです。

さらには東京への研修旅行に海外への研修旅行。

制作と人付き合いと足労のオンパレードです。

 

その上私生活でちょっとした(ほんとにちょっとした)悩みを抱えているのもあり、さながらパンク寸前。予定も頭も。

 

夏休みをマイペースに(それなりに)快適に過ごしていたのもつかの間、入学以来最大の多忙を前に、戦慄と恐怖と絶望と若干の期待に打ち震え、キャパシティーオーバー目前。ストレージをチャージしたい気持ちでやまやまです。

 

こんな雑文で現実逃避をするのもええ加減にせいといったところではありますが、これを耐え抜けば絶対に、顔を多少老けさせるのと同時に人格を多少成長させてくれるだろうと思いますから、今後ゆっくりたっぷりと卒業制作に臨むそのときに向けて、学生生活最後の課題の満漢全席を嗜もうではありませんか。

 

という意気込みを露わにするのもさておき、少し仮眠をとりましょう。←

 

今夜でペン入れまで終わったら万々歳かな。

 

 

ぼくが世を風刺する無謀

授業で、風刺漫画を描く課題が出ました。

 おもしろそうです。要はビゴーのあのイラストみたいな、ユーモラスなやつ。

 

しかし風刺漫画とは、何かに対してアンチな心がないと描くことができません。

 しかも、クスッと笑ってしまうようなものでなければならない。

 

つまりは典型的なブラックジョークということだろうけれども、悪くいえばそれは「嘲笑う」ということなのです。

 

世相ネタなら世相を、政治ネタなら政治を、国際ネタなら国際情勢を嘲笑しなければなりません。

 

それは、ぼくがしないように心がけていることでもあります。

嘲笑するような人間は嫌いだから。

 

今回の課題は政治家の似顔絵を描くことが必須事項らしいので、自ずと政治ネタを描くことになるんだと思います。

しかしここも問題で、ぼくは政治を解さない。

 

知らないものは嫌いになれないから、政治に対してアンチにはなれません。

 

しかし、ここでピンときたのが、ぼくは政治批判をする人間が嫌いだということです。

おそらくそれは、母親が政治家が嫌いだからだと思います。

 

母親はかつての安保騒動のとき、「戦争反対しにいってくる」といって出かけていったことがあります。

そしてシールズの本を買い、パソコンのデスクトップにシールズのなんとかさんの画像を使い、シールズのロゴが背中に入ったTシャツを着ていました。

 

実に気味が悪い。

 

バンドのCDを買って、グッズのTシャツを着て、カラオケでその人らの曲を歌いまくっているのとほとんど変わらない行為だけれども、嫌いと表明するのと好きだと表明するのとでは雲泥の差があります。

 

この例えがバンド教への入信だとしたら、母親のそれは政治アンチ教への入信といえるかな。

しかし具体性を持って世の中を動かし、広く世間に影響を与えるのは前者であるのではないでしょうか。

 

出馬するでもなく選挙をやり直すでもなく、ただ声高に批判と正論をぶつけ、同胞と肩を並べているだけのデモ集団より、ライブに行っている観客たちの方がずっと影響力があると思うのです。

 

さて、政治アンチのことは身をもって知っている。

つまり嫌いになれる。むしろなっている。

 

なので今回政治ネタで風刺漫画を描くならば、政治アンチのアンチとして描くのが一番いいのかもしれませんね。

 

ニュースをネットですら見ないから現代の世相もほとんど知らないけれど、政治批判はいつの時代もあります。

(もっといえば、どんな国でも自国の政治に批判的な人間は少なくない。結局人間の幸不幸は自分次第なのですね)

いつだって描けるし、歴史に残る。

 

すごくいやな課題だけれど、やるしかない。これでいこうと思います。

 

 

ゆっくりしていったよ

いま、空前のゆっくり解説ブーム!!(ぼくの中で)

 

ゲーム機大戦に1日の6分の一を棒に振ったのみならず(ゲーム機大戦シリーズの総再生時間は4時間)、ここ3日間だけで4つのシリーズを見るのにはまっている小生。

 

・ゲームのRTAのゆっくり解説(ゆっくり解説に慣れると無いと退屈)

・しくじり企業

・ゲーム機大戦

・プレミアとなったゲームソフトの解説

 

このほかゆっくりクソ映画レビューやゴジラ怪獣図鑑、ゆっくり打ち切り漫画紹介など、「そういえばゆっくり解説自体前から好きだな」ということを自覚した次第。

 

そもそも本を読むなどより、緩急のついた演出の可能なゆっくり解説の方がエンタメ性に優れ、さらに一般市場には流通しない地味なテーマやマニアックなテーマでも投稿者の道楽として続けてもらえるジャンルの豊富さという点で、さながらかつての学研まんがのような魅力を持っているわけです。

 

好きだったなあ。「マクドナルドのひみつ」とか、「チューインガムのひみつ」とか。

幼少期より図鑑が好きだったのもあり、ルーツはそこのようです。

「他人の知識体系の編集物が好き」という嗜好。

 

さらに岡田斗司夫氏の放送や山田玲司ヤングサンデーといった言論系番組にはまっているのもあり、「他人の面白い話を聞くこと」に関心が強いといういま、ゆっくり解説は趣味にドンピシャというわけです。

 

誰でも人前で話せる能力があるわけでは無いし、さながら曲が作れても歌えないミュージシャン。

おそらくゆっくりは音楽家でいうボーカロイドのような役割を果たしているということでしょう。ゆっくりは製作者にもとても便利なツール。

 

ネット文化の優れた部分を改めて感じさせられます。

 

ああやってみたいなあ。

せこせこと、気づいたら貯まっていた趣味の副産物を、あんな風におもしろおかしくまとめてみたいなあ。

 

必ずしもゆっくり解説動画を作りたいという意味では無いけれど(それこそ漫画を描くのも悪く無い)、いずれにせよなんかやってみたいですね。

今でいえばなんだろう。映画かな。今すぐやるんだったらMCUの、物語とキャラクターの解説をしたいかも。(まだまだ新作が盛り上がっているのに対し、あれはドラマでいうとシーズン6とかそんな感じになって、完全に一見さんお断りだから……)

 

ここ最近ではまった解説シリーズを見ると、ゲームや破産した企業の紹介など、企業戦略や業界の動向などのビジネス的な話題が多いことがわかります。

そういうのがすっごく面白いと思うの。

 

さてこれらを見て思うのは、こういう業界史や文化史っていうのは、実に興味深い社会史であるなあということ。

こんなことはヤングサンデーでたびたび取り上げられているから今更なんですが、ドラマや映画や漫画などの娯楽でも、ゲームでも、音楽でも、「歴史」として精通していれば、おのずと社会全体の動向や他業種の流れと混ざって考察され、「漫画の歴史を見ていたと思えば近代史をかじるまでに視野が広がっていた」というようなことがあるのも、知的好奇心の強いタイプのオタクにはよくあること。

「しくじり企業」のように直接的なテーマでなくとも、見る側の意識次第でほんとに教養になるなあというのが今日の実感でした。

 

平たく言えば、「ゲーム機大戦」はiPhoneの席巻や家電業界、大衆性やマニア性の対立など、異なるテーマが混ざり合い、いろんな見方ができて本当におもしろかった。

視点を変えて何度でも観れるとてもいいシリーズでしたね。

 

 

ゆっくりフランス語解説とかないかなあ。

オタク的な知識もいいけど、世界史みたいな硬派なやつでもいいかも。

 

新しいジャンルの知識を集めるきっかけとして、ゆっくり解説はどんな入門書よりも優れていると思います。

今後の知的生活にゆっくり解説(及び似たような形態をとった解説系の)動画が大きく関わることは間違いないでしょうね。

 

久しぶりにニコニコ動画への関心が強くなったけれど、見やすさと使いやすさではYouTubeにおよぶべくもない現状は変わらず、たったいま0時の時報と見せかけた超会議のPRに辟易したところでもあります。

しかしタグ検索機能がYouTubeでは完全に使えないこともあって、やっぱりまだまだ統一は先なんだなあという感じです。

 

ここらへんの、ネット新時代の動向もいつかまとめてみたい。

ほんとにおもしろいですからね。Macの登場やAdobe社の台頭とか。

 

いつの日か、YouTubeを知らない世代と出会うことがあるのだろうか……