ナワをつぐもの。

イラストをやる人ですが、ここでは主に考えてることやエッセイなどを嗜みます。

学校がはじまったらすぐに更新しなくなるこのわかりやすさ。

 

とにもかくにも課題づくしで、かつ研修旅行も重なると、相変わらずのハードスケジュール。

もういっそ、夏休みや春休みなんてなくていいからもっと余裕あるスケジュールでやりたいレベルです。

 

そんな感じで、書く暇がない…というわけでもないけど、書くという発想自体をそもそも忘れてしまいました。

頭の中は常にやることでいっぱいです。

 

しかしそんな生活に、プライベートのとある一件で、さらにストレスが発生。

少し暗雲立ち込めています。

 

2月の時点で、男性としては標準、あるいはそれよりは少し長いくらいの髪の毛でした。

そろそろ切ろうかなあというくらいの長さでしたが、なんとなく伸ばしてみることを決意。

半年たたないくらいでゴムで結べるほどになり、最近までに、後頭部にぶら下がる尻尾はどんどん成長していました。

 

しかしぼくはその間、とある人のとある要望をずっと受け続けていました。

それは、「後ろと横を刈り上げてほしい」。

 

その人は鳥肌実という人が好きだそうです。ぼくも知らなかった。有名ではないと思う。

しかしその人は鳥肌実という人の髪型と目つきが好きだそうで、ぼくの目つきもなんとなく近いそうで、あの髪型にしてほしいそうで…。

 

でもってナチスの軍人がどうの北朝鮮がどうの、なんだかぼくには理解できない趣味をいろいろお持ちで、自分好みにぼくをカスタマイズすることに余念がないその人。

鍛えて軍服着てほしいとかなんとか、リクエストは絶えません。

 

でもって、夏休みくらいからずっとずっと、あんな髪型にしてほしい、してほしいと、何度断ってもしつこくしつこく、頼まれていました。

あそこまで諦めずに、懲りずに頼まれると、ぼくの性格上「喜ぶ顔が見たいなあ」と思ってしまうのです。

そうして先日、折れました。

 

つい先日まで、前髪を左寄りに垂らしてポニーテールにしていたぼくが、鳥肌実ヒトラーのような、過度な刈り上げに長い前髪。

「尻尾が無くなるだけだから、シルエットではそんなに変わりないから」と言われていたのが完全に嘘だと思うくらい、盛大に印象が変わりました。

 

自分ではあの人の感覚はよくわからないので、美容室に同行してもらい、スタイリストにぼくの代わりにあれこれ言ってもらいました。

明らかにスタイリストさんは困惑していた…ような気がします。

「いいようにされてると思われてるんだろうな…」とか思ったりして、ずっと嫌な汗が。

 

平静を装いたかったものの、つい落ち込んでおりました。

するとあの人にも良心はあったらしく、文字通り「泣いて」謝られる始末。

これで、わがままの限度を知ってほしいという思いもあったので、今後はもう少し自重してもらえたらいいですね。

 

ぼくはイラストレーター志望なので、「わかる人にわかればいい」とか「好きな人は好き」とか、そういうものを作ったりやったりするのには、最近は興味がないのです。

 

好きなミュージシャンは星野源推してるゲーム会社は任天堂

「みんなに」愛されているものや、人を選ばないものを作ろうと努力している人が大好きなんです。

 

だからいくら、今の髪型をあの人にべた褒めされようと(されています)、あるいはそういう趣味を持っている人にいくら

褒められようと、ぼくはそんな狭い世界には興味がない。

この髪型で例えば企業訪問なんか絶対にしたくないし、先生と面談すらしたくない…。

 

髪型や服装は人間性を表すものだと思っていて、好きなものより似合うもの、というのがぼくの主義です。

似合うというのは、容姿や性格も含めて。

そういう意味では、いまの髪型は完全に、ぼくのキャラではない。

 

前の髪型はぼくの性格に合っていたし、ぼくも気に入っていました。

「尻尾がなくなるだけ、結んでたのが刈り上げになるだけだからシルエット的にはいっしょ」という言葉だけが希望で、念を押して確認をとっていました。

しかし元からそうなるはずはなかったのか、あるいはスタイリストに注文しながら暴走したのかはわかりませんが、結果的に似ても似つかぬありさまに。

 

家族にもクラスメイトにも、道行く人にすら見られたくないなあ。似合う似合わない以前に、「こういうキャラ」と思われるのがほんとに嫌です。誤解以外の何者でもない。こんな個性の人ではないですぼくは。

 

しかも別に強制されたわけではないので、あくまで根負けして「自分の意思で」切ったわけなので、まちがってもあの人を責められないという二重苦。

鏡を見る、あるいは髪について考えるたびに辛いです。だから褒められても辛い。

 

はけ口のないモヤモヤを、せめてここに発散させてください。

はやくこんな髪型から脱したい。

もとの長さにするまでには、また1年以上はかかるはずです。

 

伸ばしてた頃の目標は、ヘアゴムで結べるまで、でした。性格には、そのとき理想としていた髪型ができるまで。

 

伸ばし直す上で設定する目標は、「お団子ができるまで」にします。

あるいはかんざしでとめられるまで。

 

ほんとに…あの人には、ごめんなさい。

理想が違うんです。共存しましょう。

うまいものを食うのは正義ゾイ

モロボシダンの名を借りているコンビニといえば?

 

そう、セブンである。

 

はるかな星がふるさとである故、食品系セブンオリジナル商品のクオリティは高いのである。

 

最近は疲れからか、蒙古タンメン中本のカップ麺がやたらおいしいです。

今朝も食べたし、2時44分である今も食べました。いやあおいしい。

世の中のカップ麺の中で一番好き。

 

クラスの男子は今度の東京への研修旅行で、中本のラーメンを実際に店に食べに行こうとしているみたいですね。

たしかにいい機会だ。

ぼくもいってみようかしら。

 

あとは、チキンバーガーがおいしかった。

以前食べたマッシュルームソースのはみ出しチキンバーガーがすごくおいしかったから、新しく売っていた、ケイジャンチキンバーガーとやらをつい買ってしまいました。

 

中本のカップ麺にはまってしまって以来、辛いものが好きになったぼくの目に飛び込んできた「辛い」の文字。

いざ食べて見たら、前のはみ出しチキンバーガーと同クオリティのチキンと、ソースから香るタバスコの風味がすごく合っていて、おいしかった。

 

セブンはゆず辛チキンもおいしいし、鶏肉系はハズレがないですね。

 

コンビニATMという改革を起こし、コンビニコーヒーという市場を開拓し、こんなにおいしいオリジナル商品を多数展開するセブンイレブン

こんなに素晴らしいコンビニがほんとにあるのか。

 

結論、ぼくはやっぱりセブン推し

 

 

静けさのあとの嵐

「終わらせた仕事よりも、終わらせていない仕事の方が人間を疲れさせる」ということばをtwitterで見て以来、出典も忘れましたが、ことあるごとに思い出します。

 

実際、思い返せばかなりの実感を伴う言い方です。

今までも「そうだったなあ」だし、今も「ほんとにそうだよなあ」です。

 

実際、いまぼくはちっとヤバイ(入学以来五本の指に入るくらいヤバイ)んですが、なぜかというと、頭の中がいま抱えている課題とこれからの課題と、その他研修旅行やらなにやらでいっぱいになっているからです。

 

学校から帰ってきて疲れている暇もなく、今もぼくは課題と格闘しています。

それだけでなく、来週の月曜日のための課題や自分でやりたいことも含め、土日もやることでいっぱい。

 

ターナーアワードのような大作も控えており、二学期早々言い渡された、コミックイラストやイラストレーションの最終課題もものすごいボリュームです。

さらには東京への研修旅行に海外への研修旅行。

制作と人付き合いと足労のオンパレードです。

 

その上私生活でちょっとした(ほんとにちょっとした)悩みを抱えているのもあり、さながらパンク寸前。予定も頭も。

 

夏休みをマイペースに(それなりに)快適に過ごしていたのもつかの間、入学以来最大の多忙を前に、戦慄と恐怖と絶望と若干の期待に打ち震え、キャパシティーオーバー目前。ストレージをチャージしたい気持ちでやまやまです。

 

こんな雑文で現実逃避をするのもええ加減にせいといったところではありますが、これを耐え抜けば絶対に、顔を多少老けさせるのと同時に人格を多少成長させてくれるだろうと思いますから、今後ゆっくりたっぷりと卒業制作に臨むそのときに向けて、学生生活最後の課題の満漢全席を嗜もうではありませんか。

 

という意気込みを露わにするのもさておき、少し仮眠をとりましょう。←

 

今夜でペン入れまで終わったら万々歳かな。

 

 

ぼくが世を風刺する無謀

授業で、風刺漫画を描く課題が出ました。

 おもしろそうです。要はビゴーのあのイラストみたいな、ユーモラスなやつ。

 

しかし風刺漫画とは、何かに対してアンチな心がないと描くことができません。

 しかも、クスッと笑ってしまうようなものでなければならない。

 

つまりは典型的なブラックジョークということだろうけれども、悪くいえばそれは「嘲笑う」ということなのです。

 

世相ネタなら世相を、政治ネタなら政治を、国際ネタなら国際情勢を嘲笑しなければなりません。

 

それは、ぼくがしないように心がけていることでもあります。

嘲笑するような人間は嫌いだから。

 

今回の課題は政治家の似顔絵を描くことが必須事項らしいので、自ずと政治ネタを描くことになるんだと思います。

しかしここも問題で、ぼくは政治を解さない。

 

知らないものは嫌いになれないから、政治に対してアンチにはなれません。

 

しかし、ここでピンときたのが、ぼくは政治批判をする人間が嫌いだということです。

おそらくそれは、母親が政治家が嫌いだからだと思います。

 

母親はかつての安保騒動のとき、「戦争反対しにいってくる」といって出かけていったことがあります。

そしてシールズの本を買い、パソコンのデスクトップにシールズのなんとかさんの画像を使い、シールズのロゴが背中に入ったTシャツを着ていました。

 

実に気味が悪い。

 

バンドのCDを買って、グッズのTシャツを着て、カラオケでその人らの曲を歌いまくっているのとほとんど変わらない行為だけれども、嫌いと表明するのと好きだと表明するのとでは雲泥の差があります。

 

この例えがバンド教への入信だとしたら、母親のそれは政治アンチ教への入信といえるかな。

しかし具体性を持って世の中を動かし、広く世間に影響を与えるのは前者であるのではないでしょうか。

 

出馬するでもなく選挙をやり直すでもなく、ただ声高に批判と正論をぶつけ、同胞と肩を並べているだけのデモ集団より、ライブに行っている観客たちの方がずっと影響力があると思うのです。

 

さて、政治アンチのことは身をもって知っている。

つまり嫌いになれる。むしろなっている。

 

なので今回政治ネタで風刺漫画を描くならば、政治アンチのアンチとして描くのが一番いいのかもしれませんね。

 

ニュースをネットですら見ないから現代の世相もほとんど知らないけれど、政治批判はいつの時代もあります。

(もっといえば、どんな国でも自国の政治に批判的な人間は少なくない。結局人間の幸不幸は自分次第なのですね)

いつだって描けるし、歴史に残る。

 

すごくいやな課題だけれど、やるしかない。これでいこうと思います。

 

 

ゆっくりしていったよ

いま、空前のゆっくり解説ブーム!!(ぼくの中で)

 

ゲーム機大戦に1日の6分の一を棒に振ったのみならず(ゲーム機大戦シリーズの総再生時間は4時間)、ここ3日間だけで4つのシリーズを見るのにはまっている小生。

 

・ゲームのRTAのゆっくり解説(ゆっくり解説に慣れると無いと退屈)

・しくじり企業

・ゲーム機大戦

・プレミアとなったゲームソフトの解説

 

このほかゆっくりクソ映画レビューやゴジラ怪獣図鑑、ゆっくり打ち切り漫画紹介など、「そういえばゆっくり解説自体前から好きだな」ということを自覚した次第。

 

そもそも本を読むなどより、緩急のついた演出の可能なゆっくり解説の方がエンタメ性に優れ、さらに一般市場には流通しない地味なテーマやマニアックなテーマでも投稿者の道楽として続けてもらえるジャンルの豊富さという点で、さながらかつての学研まんがのような魅力を持っているわけです。

 

好きだったなあ。「マクドナルドのひみつ」とか、「チューインガムのひみつ」とか。

幼少期より図鑑が好きだったのもあり、ルーツはそこのようです。

「他人の知識体系の編集物が好き」という嗜好。

 

さらに岡田斗司夫氏の放送や山田玲司ヤングサンデーといった言論系番組にはまっているのもあり、「他人の面白い話を聞くこと」に関心が強いといういま、ゆっくり解説は趣味にドンピシャというわけです。

 

誰でも人前で話せる能力があるわけでは無いし、さながら曲が作れても歌えないミュージシャン。

おそらくゆっくりは音楽家でいうボーカロイドのような役割を果たしているということでしょう。ゆっくりは製作者にもとても便利なツール。

 

ネット文化の優れた部分を改めて感じさせられます。

 

ああやってみたいなあ。

せこせこと、気づいたら貯まっていた趣味の副産物を、あんな風におもしろおかしくまとめてみたいなあ。

 

必ずしもゆっくり解説動画を作りたいという意味では無いけれど(それこそ漫画を描くのも悪く無い)、いずれにせよなんかやってみたいですね。

今でいえばなんだろう。映画かな。今すぐやるんだったらMCUの、物語とキャラクターの解説をしたいかも。(まだまだ新作が盛り上がっているのに対し、あれはドラマでいうとシーズン6とかそんな感じになって、完全に一見さんお断りだから……)

 

ここ最近ではまった解説シリーズを見ると、ゲームや破産した企業の紹介など、企業戦略や業界の動向などのビジネス的な話題が多いことがわかります。

そういうのがすっごく面白いと思うの。

 

さてこれらを見て思うのは、こういう業界史や文化史っていうのは、実に興味深い社会史であるなあということ。

こんなことはヤングサンデーでたびたび取り上げられているから今更なんですが、ドラマや映画や漫画などの娯楽でも、ゲームでも、音楽でも、「歴史」として精通していれば、おのずと社会全体の動向や他業種の流れと混ざって考察され、「漫画の歴史を見ていたと思えば近代史をかじるまでに視野が広がっていた」というようなことがあるのも、知的好奇心の強いタイプのオタクにはよくあること。

「しくじり企業」のように直接的なテーマでなくとも、見る側の意識次第でほんとに教養になるなあというのが今日の実感でした。

 

平たく言えば、「ゲーム機大戦」はiPhoneの席巻や家電業界、大衆性やマニア性の対立など、異なるテーマが混ざり合い、いろんな見方ができて本当におもしろかった。

視点を変えて何度でも観れるとてもいいシリーズでしたね。

 

 

ゆっくりフランス語解説とかないかなあ。

オタク的な知識もいいけど、世界史みたいな硬派なやつでもいいかも。

 

新しいジャンルの知識を集めるきっかけとして、ゆっくり解説はどんな入門書よりも優れていると思います。

今後の知的生活にゆっくり解説(及び似たような形態をとった解説系の)動画が大きく関わることは間違いないでしょうね。

 

久しぶりにニコニコ動画への関心が強くなったけれど、見やすさと使いやすさではYouTubeにおよぶべくもない現状は変わらず、たったいま0時の時報と見せかけた超会議のPRに辟易したところでもあります。

しかしタグ検索機能がYouTubeでは完全に使えないこともあって、やっぱりまだまだ統一は先なんだなあという感じです。

 

ここらへんの、ネット新時代の動向もいつかまとめてみたい。

ほんとにおもしろいですからね。Macの登場やAdobe社の台頭とか。

 

いつの日か、YouTubeを知らない世代と出会うことがあるのだろうか……

気がついたらネギを讃えていた

風邪をひきました。

何ヶ月も平穏無事であったのに……。

 

原因の一端としてエアコンもあるのだろうけど、それ以上に予定過多が大元の原因でしょう。

二晩我が家に某人を泊めて、見送ったその足で高校の同窓会に深夜3時まで参加。

課題をやりつつ次の週にまた某人を二晩泊めて、見送ったその足で親友を家に泊める。

明らかなハードワーク!

 

親友である彼と会った時にはすでに発症していました。

いっしょに課題やレポートをやりつつ夜を過ごそうと言っていたのに……すまない。

 

中学の頃からこのパターンなんですが、風邪をひいたとはいえ熱は大して出ません。

ただ単に鼻がやられ、倦怠感に苛まれる。耳が聞こえづらくなり、今回は関節の痛みもそれなりにあります。参った。

 

風邪薬は切らしています。

唯一あった葛根湯は、ギリギリ飲むタイミングに間に合うかと思っていましたが、どうやら遅かったようで。

 

自然に治すしかないみたいです。

そもそも風邪なんて病気があるというより、抵抗力が落ちて普段ならなんくるないバイ菌に体がやられてしまうというだけだから、栄養をとって休めば治るのです。

薬なんていらねえ。(金欠だから買いたくないだけ)

 

一回分を相応の値段で売ってくれないかなあ。

一瓶買うのはちと高い。そりゃあ長持ちするんだけどさ。

 

とりあえずネギを食べます。

野菜の中で一番好きな、あのネギ。

 

きんぐおぶべじたぶる、ネギ。

ネギ万歳。

とりあえず中森明菜は可愛い

これまでぼくがどんな音楽を聴いてきたかというと、主に洋楽や、最近では電子音楽ばかりでした。

好きなアーティストはZEDD、Chainsmorkers、MartinGarrix(“Animals”と“Wizard”以降はそんなでもない)、TheFatRat、Lapix、Daft Punk、Yunomiとかそんなところ。

 

バンド系で言えば、OneRepublic、Maroon5、(好きもありつつ教養として)The Beatles

とか。

 

日本のアーティストなら、米津玄師(dioramaの頃から知ってるけど「ピースサイン」以降は特に♡!)、宇多田ヒカルNona Reeves水曜日のカンパネラ花澤香菜ASIAN KUNG-FU GENERATIONパスピエふぇのたす東京スカパラダイスオーケストラ、(少しだけ)椎名林檎東京事変キリンジ(デュオもバンドも)、ゲントウキといったところ。

 

キリンジゲントウキあたりが伏線になったような気もするんですが、最近になって星野源が大好きになりました。おげんさんがきっかけで。

 

さらにいえば、星野源と、某人に教わった渡辺真知子の「カモメが翔んだ日」を皮切りに、中村佑介さんの影響を受けて(「わたしのかたち」書評を参照)さだまさしがここ一週間でどはまりしていて、さらに布施明山口百恵岩崎宏美中森明菜‥‥‥えーと‥えーと‥えーとせーとーら〜にも興味が出まして。

 

要するに、正統派な日本のポップスにかつてないほど心酔しているわけです。

やや昭和なのが気になりつつ。

 

もともとフリッパーズギターにも興味はありましたから、昭和のポップスはもともと性に合ってた。「恋とマシンガン」と「カメラ!カメラ!カメラ!」聴いてました。

なので、引き金さえ引かれればはまるのは早かったです。

 

いわば、ずっとイタリアンとかファストフードを食べてたけど、「おばちゃんが切り盛りしてるそのへんの定食屋のご飯ってすごくおいしくない?」と気付いたような、そんな感じです。

 

特にさだまさしなんかは、「関白宣言」などは言ってることが古臭すぎるわけですが、そこは古い曲なので当たり前だし、もともと歌詞よりメロディー派なので何も問題なし。聴く上でストレスは一切なし。

 

というわけで、昭和ポップスの持つ味に心底惚れました。

思えば遠くへ来たもんだ。

 

正直ね、特にZEDD。ZEDD聴きすぎましたよ。反動ですよこれは。

毎日聴いても飽きなかったから毎日聴いてましたからね。

 

古い曲のいいところはアーカイブが限られるところですね。

新しい人のように今か今かと新曲を待つのもよしですが、アーカイブから好きなだけ好きなのを聴くのもよしと。

かつ、今も昔も人気アーティストは何人もいるわけですから、とにかく豊富にあるわけですね。関連する人が次から次へと。選り好みしなきゃ聴ききれない。

 

こういうのが好きになったきっかけは、間違いなく幼少期、家にあった「スーパー戦隊主題歌全集」を聴きまくったせいだと思うのです。

最初の「秘密戦隊ゴレンジャー」は75年放送開始ですから、3歳や4歳そこらで70年代テイストの洗礼を受けていたわけです。我ながらおもしろい(笑)

 

ちなみにあの頃は、最新はハリケンジャーでした。ハリケンジャー世代です。

ガオレンジャーはまだ怖くて観れなかった。

 

まるで3歳の頃にゴレンジャーを聴いていたような感覚で、あと20年もすればハリケンジャーだって30年前の懐かしソングになってしまう。

たしか2003年じゃなかったかな。ハリケンジャー

 

そしてその頃には、スーパー戦隊60周年記念の何か企画があるのかな。

スーパー戦隊はそんなに残っているだろうか。

そして懐メロと呼ばれるような古い曲は、今後はどんどん増えて行くけれども、次やその次の世代にどう認識されるのか。

 

今でこそ、漫画もその生い立ちを認識しているし、戦前の記憶もかすかに残っています。

謡曲も同様で、いまだに演歌を聴く人、歌う人はいなくならない。

それどころかクラシック音楽も膨大な曲数と録音媒体が流通している。

 

これらのコンテンツも、たとえば今の倍のボリュームのアーカイブの中ではいったいどうなってしまうんでしょう。

アーカイブが無限に近い数ありながら、それでもモーツァルトやワグナーを聴く人はいったいどんな人だろう。

ZEDDも星野源宇多田ヒカルも、今でいうさだまさしや布施明やTheBeatlesのような「懐かしい人」の仲間入りをした世界では、さださんも布施さんも忘れられてしまうんでしょうか。

 

ONE PIECE」が文庫で復刻する世界(そんな頃に紙の書籍があるかどうか知らないけど)では、手塚治虫はどんな風に見られるんでしょう。

手塚治虫が生きていた時代を知る人がいなくなった世界では。文献でしかその人を知ることのできない世界では。

 

それこそ、「メジャー」なんて概念はナンセンスになりますよね。

好きなものを選んだり、それどころかYoutubeiTunesのようなおすすめ機能がもっと精度が上がり、一人一人が聴いているもの、見ているものがバラバラの世界。

 

ビジネスとして音楽や漫画や映画で成功したい人だけが、マーケティングと広告戦略によって無理やり「メジャー」に仕立て上げる世界。

よく古いコンテンツを褒めるついでに、「そこへ行くと最近のコンテンツときたら」と新しいものをけなす人がいますけれども、もはや実力で成功する時代ではないんですよね。

 

「音楽業界」や「邦画業界」を何が何でも成立させ続けたいから、そのためにはお金が必要だから、アイドルや漫画の実写化などの絶対儲かるコンテンツに力を注ぎ、クオリティや教養そっちのけで、ただただ消費者にとっての快楽に徹したり、集客に専念する。

 

でも大半の人がしているのは、「クオリティが高いと誰もが認めるものにお金を払う」ことではなくて、「自分が好きなものに時間を払う」こと。

リアルタイムである必要は何もなくて、過去のアーカイブの中から好きなのを選んで楽しんでいればいい。

 

昔は積立も少なく、そもそも記録媒体が高価だったため、リアルタイムで提供されるコンテンツを見るのが一番効率的だったわけです。

アオイホノオ」なんて見れば、当時はビデオデッキが高級品で、初代ウォークマンが高級品で、ビデオテープもすごーく高かったそうじゃないですか。

映画一本買うにも1万円とか。

 

 ところが今では映画のDVDなんて3000円や4000円で買えるし、というかストリーミングでよければ1000円もしない。配信サービスを利用していればなおのこと。

 DVDレンタルなら旧作を80円で借りられる時代です。

 

 テレビがつまらなくなったんじゃないんですよ。

 テレビが面白いものである必要がなくなった。

 

 視聴者がわがままになったんじゃない。

 みんながばらばらの嗜好を持つので当たり前になった。

 

 メジャーのクオリティが下がったんじゃない。

 過去のメジャーが今のマイナーになった。

 

漫画家のツラをした論客(逆、というか失礼)の山田玲司さんは、藤井四段の強さの秘訣を「アーカイブ世代特有の戦術分析」だと分析していました。メカラウロコ。

「過去の対局の記録が多ければ多いほど、分析の幅が広ければ広いほど強くなる」。

 

現代という時代は常に、「教訓が歴史上最もたくさんある時代」であり続けてきた。

それをコンピュータ、サーバー、インターネットがより顕著なものにしている。

 

先賢とはよくいったもので、先賢こそすなわち先見の明をもたらすといったところでもあるのでしょうか。上手いこといった。

果物と野菜の種類があればあるほど、スムージーのバリエーションは広い。

 

すなわちこの一連の考え事から得られる教訓は(すなわち今回のオチは)、人間とは編集著作物であるのだから、いろいろ見聞きせよということです。

 

強いですよ。目の肥えた人間は。

見るだけなら誰でもできるというが、誰もそんなには見ない。だからこそ意義のある努力なのです。

 

書を捨て街に出るには先立つ書がなければならない。

ぼくにいわせれば、どうせなら「書を持ち街に出よ」です。

 

いい書があるじゃないですか。ポケットの中に。

あらゆる教養にアクセスできる。

 

そう、iPhoneならね。