きみのナワ。

イラストレーターになろうとじたばたしてる画学生です。ナワリョウガっていいます。

真剣10代しゃべるだけ

 ふとまとまったので、「なぜ労働するのか」という、永遠の疑問へのぼくなりの回答を、メモがてら書いてみようと思います。

 

 「国民の義務だから」のような、正論じみた漠然とした考え方が散見されますが、ぼくは労働については、返済行為だと考えています。

 

 人間は親をはじめ、様々な媒体によって人格を形成されます。

 それは家庭内の教育や、その人に多少なりとも影響を与えた文化人や、文化人が自身の表現媒体を公表するために用いた社会システム、そしてその社会システムを形成したかつての先賢など、個人の人格形成に寄与した人間の数は、間接的なものを含めれば、全世界、全時代に及びます。

 

 親個人にとってみても、養育や教育にかかった具体的な金額だけでも膨大なはずです。

 そのうえ、それらを稼ぎ出すために行ったなんらかの労働、及びそれらに従事するためにそれまで受けた教育、金額以外にも養育や教育にかかった、家事労働などを主とするコストを含めれば、とても親個人に恩返しをすることは、一生かかってもできません。

 

 ぼくはそういった親への恩返しは、社会全体への寄与によって、広く万人に貢献することによって返済可能であると考えています。

 

 すべての人間がすべての人間のために貢献することで、これまで自分の人格形成に寄与したすべての恩恵に報いることができる。

 労働は、そのための手段であると考えています。

 

 時間とは命そのものであり、人間とは流れそのものです。

 長い長い時間の流れの中に自分がいることを自覚し、先人の積み上げたものを受け継ぎ、また次へと渡す。

 働く行為にはそういった意味があるのです。

 

 内田樹さんの思想をかぶれているのが丸わかりですが、ぼくが個人的に親から受けている恩恵と、そういった意味で感じている親への引け目を踏まえ、自分なりにまとめてみました。

 果たして、今後読み返した時、いまのぼく自身をどう思うかな?