ナワをつぐもの。

イラストをやる人ですが、ここでは主に考えてることやエッセイなどを嗜みます。

辛かったら努力じゃない。

   今日いっぱい、猛烈な鼻炎と目のかゆみに悩まされました。

   3時間も埃まみれになればそれはそうなる。

 

   ツイッターって、基本的には見てて楽しいし役に立つんですけど、むかっときてクソリプを飛ばしたくなるようなツイートも、なんでこんなことをみんな当たり前だと思うの?というようなツイートも、同じくらいたくさん見受けられるんですよね。

 

   特に今みたいな深夜だと、それによるストレスってちょっと耐えられないんですよぼくの場合。

   ちょっとここで吐き出したい。

 

   ぼくが思うに、みんな努力がつらいものだとあまりに信じすぎている。

 

   というのも、ぼくがフォローしているとある絵描きさんが、「削れるならすべて削って絵を描け、腱鞘炎で痛いなら左手があるだろ、お前の本気はそんなものか」というツイートを、誰にいうでもなくしていたことが、今回のきっかけです。

 

   ぼくもひとりの絵を描く人間として、こういうことを言う人には心底腹が立つわけですね。

   「絵描きは目と利き手があればまあなんとかなるんだから、足を使うことを惜しむな」とかそういう教訓だったらまだわかるんですけど、絵描きの命である利き手を酷使して腱鞘炎にすることを、なんでそんなに正しいと思い込んどるのかと思うわけです。

 

   ぼくはうちの学校の非常勤の先生が、仕事のし過ぎで腱鞘炎にかかって授業を休講にしたことをおぼえています。

   ああいう根性論は実際、あのときのぼくと、その授業を選択していたほかの学生に迷惑をかけたわけです。

 

   やれ部活動だブラック企業だと、他人に強制される根性論にはみんな猛反発するくせに、なんで自己研鑽に勤しむ人は自己管理に疎いのかと、ほんとに理解に苦しむんですね。

 

   結論をいうと、ぼくの持論は「辛かったら努力ではない」です。

   これはもうはっきりと自信を持って言える。

 

   「苦しめ」という人は、ほぼ間違いなく自分の苦しみを他人にも味わってほしいだけです。

   俺はこれだけ苦しんでこの地位を手に入れたんだから、俺以下の苦しみで手に入れるようなお買い物上手は認めないぞと言いたいだけ。

 

   あと、これは地位を手に入れられない凡人にありがちなことですけども、努力が辛いものでなければならないと思っている人は、その辛さに甘えることもすごく多いんですね。

 

   ちょっと極端な例でいえば、「ダイエットしようと思って朝食と昼食をぬいてジムのあとに夕食を食べる生活してるのに、痩せるどころか太った」という人がいました。

 

   その人は朝食と昼食を抜いて会社に行くという「辛さ」で、痩せるというペイバックを期待したわけですね。

   これ、子どもや学生の頃から、勉強が喜びではなく苦役だった人の典型じゃないかと思うわけ。

 

   つまり、欲しいものの対価として苦役を支払うのが、本人の中であまりに当たり前になっている。

   何かを手に入れたければ辛い思いをしなければならないと思っている。それは、苦役しか通貨単位を知らないし、そうやって等価交換で手に入るものだと思い込んでいるという意味でもあります。

   

   逆にいえば、「これだけ辛い思いをしたのだから、それ相応の見返りがあって然るべきだろう」という甘えに、みんな首まで浸かっているんだと思うんです。

 

   よく、努力は必ずしも報われないとかがんばってもうまくいかない人がいるとかいう言い回しがあります。

   もちろんそれは事実なんでしょうけど、みんなが思ってるよりかは、そういう事例は少ないんだと思います。

 

   報われなかった努力の何割かは、「辛いんだからきっと報われるだろう」という甘えが、どんどん無意味で自慰的な、努力まがいの苦しいだけのオナニーに走らせてしまっただけなんじゃないかと思うんです。

 

   勉強や鍛錬って、やればやるほど力になるような、金を払えば払うほどおいしくなるようなお買い物じゃないんです。

 

   どんなに辛くて苦しい勉強をしていようとも、10時から2時のあいだにちゃんと睡眠を取らなかったら、頭に残らない。うまくいったところで、結局試験に受かるだけ。

   朝食と昼食を抜こうが、夜にドカ食いしたら飢餓状態の体の吸収率が高まってるせいで、逆に太るのは当たり前。

 

   絵の話もそうですよ。

   腱鞘炎をおこして、腱鞘炎を治すまで待つとか利き手と逆の手で無理やり描くとか、それよりははるかに、普通に絵を描いて普通に休んでた方が、時間効率がいいに決まっている。

   腱鞘炎起こすまで、本気とやらで死に物狂いになろうが、それはそれをやってるあいだだけ気持ちいいんであって、結局それで体壊したりしてしまえば、そのあいだ飄々と淡々と、無理のない練習をコツコツと細々とやっていたやつの方が出し抜くに決まってる。

 

   みんなうさぎと亀の話を知ってるくせに、あるいはせっかくお釈迦様と剣豪になりたい若者との逸話が残っているのに、誰もその教訓を信じない、あるいはおぼえてないんですよね。

 

   努力とは、辛さに耐えることではありません。

   ただただ、必要なことを継続することです。

 

   オナニー以外にも、「サッカー選手にらなりたいくせに野球のトレーニングやっちゃってる」みたいな、頓珍漢な努力してた人も、努力が報われなかった人の中に含まれてると思います。

   自分にどんな努力が必要か、よく考えて見定めるセンスが必要なんです。

   辛さに耐える忍耐力に比べたら、はるかに大事なこと。

 

   報われる努力をする人は、「自分が自分の一番の先生になる」という発想ができる人です。

   教育を、教育費と交換する消費対象としか思えない人には一生理解できない発想です。

 

   自分が欲しい、あるいは必要な教育を選んで与えるのは、いつだって自分自身です。

   学校や周囲の人などのアドバイザーの役割は、その肩代わりをすることではなく、「あなたはなにを知らないのか、なにを知るべきなのか」を教えることです。

   無知と未熟を自覚させることです。

 

   それを克服するのが、個人の仕事。

   学校がどうして自己実現に有効なのかというと、無知に自分で気づくという工程をとばして、他人に自分の無知を気づかせてもらうというショートカットができるからです。

 

   自分だけでは明らかに偏りますから、自分がいったいどのくらいものを知らないのか教えてもらえるという意味で、教育機関は有効なのです。

 

   努力や勉強に対して、捉え方を根本的に、義務教育現場の教師ですら間違えてるというのが実情なように思えます。

   そしてこの歪みが、世の中全般を歪ませている。

 

   辛い思いをして血の滲むような努力をしている限り、あなたの夢は絶対叶いません。

   辛いことより、あなたですら継続できる程度のことを10年やる根気が必要なのです。

 

   亀におなんなさい。

   あなたがうさぎでいる限り、ぼくの30代はあなたの何倍もの実りに満ちることとなるでしょう。

 

 

 

   どうも、他人のツイート1つで3000文字書ける男、ナワリョウガです。

   将来はこれを20倍くらいに薄めて山ほど自己啓発本を出して、苫米地英人さんみたいに一儲けしてやろうと思います笑

 

   なんちて。