ナワをつぐもの。

イラストをやる人ですが、ここでは主に考えてることやエッセイなどを嗜みます。

トトロはやっぱりこどもの理想だった

   なんでこどもに自然が必要なのかわかった気がする。

 

   いま、2歳とかそこらのいとこ2人が、40歳くらいのおじちゃんとその奥さんに連れられて、自宅に来ています。

   墓参りの帰りで、彼らからすればここはおばあちゃんの家。

   2人とも男の子です。

 

   はっきりいって、かなり生活が窮屈そう。お母さんはたびたびイライラしてるし、こどもは「もーやだー」とかいっていて、(こども故に)言葉にならない、退屈や閉塞感を感じているようでした。

 

   こどもに大人の生活は狭すぎるんですよね。でも親戚の家に行ったときや、自分の家にいるときですら、お母さんにとって一番ありがたいのは「じっとしていること」。

   大人である自分と同じように振舞ってもらわなければ困るわけです。

   家というのは基本的に、大人が大人のために作った空間だから。

   親戚付き合いや来客と家主の語らいなどのコミュニケーションも、こどもからすればとても退屈で、それに付き合えという方がたまったものではないというところでしょう。

 

   こどもでありながら大人と同じ振る舞いを求められる。こどもならではのやんちゃな振る舞いをしてしまうと、怒られる。

   それがしつけというものなのだけれど、「大人になるのに必要なしつけだから」叱ってるのか、「じっとしててほしいのにやかましいから」怒っているのか、お母さん自身、考えたことはないように思えます。

 

   ぼくはほとんど騒がず、おとなしくお母さんのそばにいるタイプの物静かな男の子でした(実母談)。

   それはおそらく、ずっと父が他県にいて兄弟もなく、母親と2人暮らしだったからだと思います。

 

   唯一の家族である母親との関係を良好に保たなければ、自分の命すら危ういという状況なわけです。

   そういった、「母親からの愛を失えば全てが終わり」な環境に自然と適応し、母親の手を焼かないこどもになっていったのだと自己分析しています。

 

   しかし彼らには父親があり、兄弟があります。やんちゃになるのも無理はない。

   お母さんもさぞたいへんなことでしょう。

 

   しかし大人の都合はこどもには関係ありません。こどもには都合を理解する知識も何もないわけですから、どうしても大人が都合よくさせようと思えば、絶対的な強制をするしかありません。

 

   だからこそ、きつく叱ったり、大きい声を出したりするんだと思います。

   でも、先述の通りこどもからすれば理解できない、世界からの抑圧でしかないわけですから、彼らの目に世界は広く写っていないと思います。

 

   家も街も公園も狭い。

   おもちゃや絵本も飽きるたび与えればキリがない。

 

   つまり一番必要なのは、泥んこになれて、走り回れて、水を投げたり石を蹴飛ばしたりできる、自然環境という遊び場だと思うのです。

   

   自然が無いところでのびのびと子育てしようにも、無理があると思う。

   彼らも十分「地方」と呼ぶに足るところに住んでいるけど、すぐ近くに山や森が果たしてあるかな。

   彼らが産まれて少し後に病院へ見にいきましたが、周辺は地方とはいえ、かなり整備された街でした。

 

  舗装され、建物が立ち並び、どんどん大人にとって住みよくなるこの街並みも、こどもからすればただただ窮屈でしかないでしょう。

   お金もなければ等価交換の概念を理解すらしておらず、何も知らないうちに迷惑をかけてしまう。

   大人のための空間が次々に自然を侵食し、大人と同じ振る舞いができなければ「迷惑かけてすいません、めっ」とこうくるわけです。

   ミスマッチも甚だしい。

 

   世の中はこどもにとって生きやすい世の中ではない。

   こどもにとってもストレスだらけ、その結果お父さんもお母さんもストレスだらけ。

 

   必要なのは広さ。自然の荒々しさ。

   人工物は繊細でもろすぎる。そして値段がついている分、価値がありすぎる。

   ぼくはそう思います。

 

   人口が増えすぎてる時代に、少子化だからといってこどもが必要なんでしょうか。必要だとしても、必要とされて産まれて来させられたこどもたちに、この世界は幸せなんでしょうか。

   少子化とはいえ少ないのはこどもだけです。世界は大人に満ち溢れ、みんながこどもに迷惑をかけられたくないと思っている。

   ものと人に溢れて狭い。息苦しい。

 

   人間が減った方がいいのは世界規模で見て当たり前のことです。

   ぼくより年下であればあるほど、「嫌な時代に生まれたね」と気の毒になっちゃうなあ。

 

   ぼくも年上に「君達はいい時代を知らない」と言われてきたけど、いい時代を知らずに今の時代が悪い時代だと認識することはできない。

   そういう理屈でぼくは、特に今の時代そのものに不満を覚えたことはないのです。昔に生まれたかったとか、そういうことは思わない。

 

   それは彼らも同じで、自分たちの時代が昔と比べていいか悪いか、判断しようがありません。

   それに、いまは彼らは幼稚園児。なおのことです。

 

   車や大人が行き交い、壊れやすい人工物に溢れ、自分に害をもたらすものに囲まれ、その抑圧に耐えなければ大人に愛想を尽かされてしまう。

   こどもって、なんてかわいそうな生き物なんだろうと思います。

 

   「こどもがいる幸せ」というのも、なんだかへんです。

   こどもって、大人を幸せにするために産まれるんでしょうか。こどもがいる幸せが欲しい大人に生まれて来させられて、こんな世の中で大人しく押さえつけられるこどもたち。

   人間ってなんだか、なまじ文明社会をもってしまった分、業の深い生き物です。

 

   そんなことを、いとこを見ててつらつら考えてしまった。

   ぼくも相当ひねくれた屁理屈野郎だと思うけれども、これが100%事実じゃないと誰が言えるだろう。

   

   少子化も同性愛も生涯未婚も、本当に正しいと思う。

   自然環境も親への社会的リソースも限られるこの世の中で、なんでみんながこどもを持たなきゃならないのでしょう。

 

   将来の日本のためにこどもがたくさん必要なんだとしても、なんで日本なんぞの都合にいいようなこどもでなければならないのか。

   なんで日本なんぞの将来に貢献せにゃならんのか。

 

   もっと視野を広く、世界のために。

   そして全ての未来のこどもたちのために。

 

   結婚や出産、子育てに関心のある方は、以上のことをどうか、頭に入れておいてほしい。

   押井監督のような「親には資格が必要だ」なんてことは敢えて申しません。

   ただただ、人として深い教養と広い視野と、余裕のある心をお持ちくださいませ。

 

   ぼくは絶対にこどもはいらない。

   そう思わずにはいられません。