きみのナワ。

イラストレーターになろうとじたばたしてる画学生です。ナワリョウガっていいます。

とりあえず中森明菜は可愛い

これまでぼくがどんな音楽を聴いてきたかというと、主に洋楽や、最近では電子音楽ばかりでした。

好きなアーティストはZEDD、Chainsmorkers、MartinGarrix(“Animals”と“Wizard”以降はそんなでもない)、TheFatRat、Lapix、Daft Punk、Yunomiとかそんなところ。

 

バンド系で言えば、OneRepublic、Maroon5、(好きもありつつ教養として)The Beatles

とか。

 

日本のアーティストなら、米津玄師(dioramaの頃から知ってるけど「ピースサイン」以降は特に♡!)、宇多田ヒカルNona Reeves水曜日のカンパネラ花澤香菜ASIAN KUNG-FU GENERATIONパスピエふぇのたす東京スカパラダイスオーケストラ、(少しだけ)椎名林檎東京事変キリンジ(デュオもバンドも)、ゲントウキといったところ。

 

キリンジゲントウキあたりが伏線になったような気もするんですが、最近になって星野源が大好きになりました。おげんさんがきっかけで。

 

さらにいえば、星野源と、某人に教わった渡辺真知子の「カモメが翔んだ日」を皮切りに、中村佑介さんの影響を受けて(「わたしのかたち」書評を参照)さだまさしがここ一週間でどはまりしていて、さらに布施明山口百恵岩崎宏美中森明菜‥‥‥えーと‥えーと‥えーとせーとーら〜にも興味が出まして。

 

要するに、正統派な日本のポップスにかつてないほど心酔しているわけです。

やや昭和なのが気になりつつ。

 

もともとフリッパーズギターにも興味はありましたから、昭和のポップスはもともと性に合ってた。「恋とマシンガン」と「カメラ!カメラ!カメラ!」聴いてました。

なので、引き金さえ引かれればはまるのは早かったです。

 

いわば、ずっとイタリアンとかファストフードを食べてたけど、「おばちゃんが切り盛りしてるそのへんの定食屋のご飯ってすごくおいしくない?」と気付いたような、そんな感じです。

 

特にさだまさしなんかは、「関白宣言」などは言ってることが古臭すぎるわけですが、そこは古い曲なので当たり前だし、もともと歌詞よりメロディー派なので何も問題なし。聴く上でストレスは一切なし。

 

というわけで、昭和ポップスの持つ味に心底惚れました。

思えば遠くへ来たもんだ。

 

正直ね、特にZEDD。ZEDD聴きすぎましたよ。反動ですよこれは。

毎日聴いても飽きなかったから毎日聴いてましたからね。

 

古い曲のいいところはアーカイブが限られるところですね。

新しい人のように今か今かと新曲を待つのもよしですが、アーカイブから好きなだけ好きなのを聴くのもよしと。

かつ、今も昔も人気アーティストは何人もいるわけですから、とにかく豊富にあるわけですね。関連する人が次から次へと。選り好みしなきゃ聴ききれない。

 

こういうのが好きになったきっかけは、間違いなく幼少期、家にあった「スーパー戦隊主題歌全集」を聴きまくったせいだと思うのです。

最初の「秘密戦隊ゴレンジャー」は75年放送開始ですから、3歳や4歳そこらで70年代テイストの洗礼を受けていたわけです。我ながらおもしろい(笑)

 

ちなみにあの頃は、最新はハリケンジャーでした。ハリケンジャー世代です。

ガオレンジャーはまだ怖くて観れなかった。

 

まるで3歳の頃にゴレンジャーを聴いていたような感覚で、あと20年もすればハリケンジャーだって30年前の懐かしソングになってしまう。

たしか2003年じゃなかったかな。ハリケンジャー

 

そしてその頃には、スーパー戦隊60周年記念の何か企画があるのかな。

スーパー戦隊はそんなに残っているだろうか。

そして懐メロと呼ばれるような古い曲は、今後はどんどん増えて行くけれども、次やその次の世代にどう認識されるのか。

 

今でこそ、漫画もその生い立ちを認識しているし、戦前の記憶もかすかに残っています。

謡曲も同様で、いまだに演歌を聴く人、歌う人はいなくならない。

それどころかクラシック音楽も膨大な曲数と録音媒体が流通している。

 

これらのコンテンツも、たとえば今の倍のボリュームのアーカイブの中ではいったいどうなってしまうんでしょう。

アーカイブが無限に近い数ありながら、それでもモーツァルトやワグナーを聴く人はいったいどんな人だろう。

ZEDDも星野源宇多田ヒカルも、今でいうさだまさしや布施明やTheBeatlesのような「懐かしい人」の仲間入りをした世界では、さださんも布施さんも忘れられてしまうんでしょうか。

 

ONE PIECE」が文庫で復刻する世界(そんな頃に紙の書籍があるかどうか知らないけど)では、手塚治虫はどんな風に見られるんでしょう。

手塚治虫が生きていた時代を知る人がいなくなった世界では。文献でしかその人を知ることのできない世界では。

 

それこそ、「メジャー」なんて概念はナンセンスになりますよね。

好きなものを選んだり、それどころかYoutubeiTunesのようなおすすめ機能がもっと精度が上がり、一人一人が聴いているもの、見ているものがバラバラの世界。

 

ビジネスとして音楽や漫画や映画で成功したい人だけが、マーケティングと広告戦略によって無理やり「メジャー」に仕立て上げる世界。

よく古いコンテンツを褒めるついでに、「そこへ行くと最近のコンテンツときたら」と新しいものをけなす人がいますけれども、もはや実力で成功する時代ではないんですよね。

 

「音楽業界」や「邦画業界」を何が何でも成立させ続けたいから、そのためにはお金が必要だから、アイドルや漫画の実写化などの絶対儲かるコンテンツに力を注ぎ、クオリティや教養そっちのけで、ただただ消費者にとっての快楽に徹したり、集客に専念する。

 

でも大半の人がしているのは、「クオリティが高いと誰もが認めるものにお金を払う」ことではなくて、「自分が好きなものに時間を払う」こと。

リアルタイムである必要は何もなくて、過去のアーカイブの中から好きなのを選んで楽しんでいればいい。

 

昔は積立も少なく、そもそも記録媒体が高価だったため、リアルタイムで提供されるコンテンツを見るのが一番効率的だったわけです。

アオイホノオ」なんて見れば、当時はビデオデッキが高級品で、初代ウォークマンが高級品で、ビデオテープもすごーく高かったそうじゃないですか。

映画一本買うにも1万円とか。

 

 ところが今では映画のDVDなんて3000円や4000円で買えるし、というかストリーミングでよければ1000円もしない。配信サービスを利用していればなおのこと。

 DVDレンタルなら旧作を80円で借りられる時代です。

 

 テレビがつまらなくなったんじゃないんですよ。

 テレビが面白いものである必要がなくなった。

 

 視聴者がわがままになったんじゃない。

 みんながばらばらの嗜好を持つので当たり前になった。

 

 メジャーのクオリティが下がったんじゃない。

 過去のメジャーが今のマイナーになった。

 

漫画家のツラをした論客(逆、というか失礼)の山田玲司さんは、藤井四段の強さの秘訣を「アーカイブ世代特有の戦術分析」だと分析していました。メカラウロコ。

「過去の対局の記録が多ければ多いほど、分析の幅が広ければ広いほど強くなる」。

 

現代という時代は常に、「教訓が歴史上最もたくさんある時代」であり続けてきた。

それをコンピュータ、サーバー、インターネットがより顕著なものにしている。

 

先賢とはよくいったもので、先賢こそすなわち先見の明をもたらすといったところでもあるのでしょうか。上手いこといった。

果物と野菜の種類があればあるほど、スムージーのバリエーションは広い。

 

すなわちこの一連の考え事から得られる教訓は(すなわち今回のオチは)、人間とは編集著作物であるのだから、いろいろ見聞きせよということです。

 

強いですよ。目の肥えた人間は。

見るだけなら誰でもできるというが、誰もそんなには見ない。だからこそ意義のある努力なのです。

 

書を捨て街に出るには先立つ書がなければならない。

ぼくにいわせれば、どうせなら「書を持ち街に出よ」です。

 

いい書があるじゃないですか。ポケットの中に。

あらゆる教養にアクセスできる。

 

そう、iPhoneならね。