ナワは絵の仕事がほしい。

基本的には絵の勉強をしつつ、好きなコンテンツなどのはなしなども。

「即戦力」という幻想

 

Tadさん(@CybershotTad)のツイートです。

 

こちらのツイートをみて、ぼくも一言いいたくなりました。

ぼくも「即戦力をスピーディーに育成するべき」という風潮は教育界全体に見られ、その結果使えない学生を量産していると感じています。

 

やはり、教育はあまりに軽んじられすぎているということです。

 

卒業制作をやらない学生

 

ぼくはこの春、地方の某地方デザイン系専門学校を卒業します。

地方ではありますが、40年以上の歴史がある分、信頼と知名度があります。

県内外のたくさんの企業にパイプを持っており、うちの学校にしかこない求人などもあって、就職にはとても強い学校でした。

 

2月を迎えた今、クラスの3分の一くらいの人数が早期研修、インターンなどですでに働き始め、学校に来ていません。

すでに他県に引っ越して働いておる人もおり、おそらく卒業式まで帰ってこない、という状態です。

 

これだけならぼくもなにもいうことはないのですが、ぼくが気になるのは、「卒業制作をやらなかった人がいる」ということです。

 

もちろん理由は早期研修などのためであり、学校側も公式に認める手続きを取っています。

もともと、研修や企業受験のための欠席は手続きをすれば自由にでき、単位にも影響しません。しかし、その結果ただでさえ忙しい学生生活が更に忙しくなって、授業に出られない上に課題作品に集中する時間が減っているというのは、本末転倒な気がします(ただでさえ2年しかないのに)。

 

美大や専門学校では、ましてや卒業制作はとても大事なものであるはずです。

美大なら4年、専門学校なら2年の間勉強した、自分の中の蓄積の全てを一度全て出し切り、学んで来たことを証明する、とても有意義な作業だと思います。

 

それをやらずにさっさと就職してしまうことに、ぼくはとても違和感を覚えました。

実際にぼく自身、つい先月まで死に物狂いで卒業制作をやった身として、あれをやらずにいるのはすごくもったいないと感じます。

作品は、それを制作すること自体勉強であり、見てもらうこともまた勉強になるからです。

 

専門学校はそういうところでもいいともいえる

 

一応フォローしておくと、専門学校は大学に比べ、「ある一分野に特化した職業訓練校」という意味合いが強いとも思っていますし、うちの学校は特にその色が強いと思います。授業内で、検定も5つ取得しました。

授業でも口すっぱく、社会人がどうの就職したあとがどうのと言っていましたし、それこそほんとに「即戦力」を育成するところであるという実感があります。

 

ぼくはもともと就職したいという気持ちがあって、そういった校風を熟知した上で入学しました。しかし、卒業を控える今となっては少し違和感があります。

 

しかし大学は理念が違う

 

ぼくがこのツイートを拝見するきっかけになったのは、内田樹さんをフォローしており、内田さんがリツートされたからです。

内田さんの著書や発言を元にしたぼくの簡単な解釈でいうと、大学という場所の意味合いは、市民的成熟を目的とした、広い教養を身につけるための高等教育機関だと思っています。

 

内田さんのどこかで見た発言で印象深いのが、「教育のインプットは、どんなアウトプットが発生するか予測したり操作できない」というものです。

どんな教育を、その人がどう役立てるのかわからないというものです。

 

つまり、「これをさせれば即戦力になるはずだ」という目的を持った教育は、大学が本来持つ役割から考えれば、実にナンセンスだと言うことになります。

 

大学は経営難、市民も時間とお金が惜しい

 

しかし、そういうカリキュラムを組まなければ、大学も志望者を集められないと思っています。実際その通りだと思います。

 

ぼくも「就職に強そうな学校」という基準で学校を選んだ(しかも大学受験したくなかったのと2年で就職できるという利点を感じていました。つまり時間と労力をケチった)のでまったく人のことを言えないのですが、このように学生が早い段階から勉強の機会を削り、企業に赴いて働かなければならない状況になっているのは、はやいはなし教育に対して価値を感じている人間が減りすぎたということだと思います。

 

即戦力という考え方は、やっぱり間違っているとぼくは思います。

 

もちろん、入学前のぼくのようなニーズは日本中にあることはわかります。

しかし、「中高生の浅見を嗜める」のも教育者の務めだと思います。

 

つまり、「そういうニーズに応えなくて済むなら応えないほうがいい」ということです。

 

しかし、いまは即戦力になる学問や就職に有利なカリキュラムでなければ学費が集まらない上に、文部省もお金を出してくれないという現実があります。

 

国が悪いとも言えるし、結局はみんなが消費者的になりすぎてしまったということでもあるんだと思います。

コストとパフォーマンスの関係にあまりにこだわりすぎている。

得をしたいという思いが、結局はかえって自分を苦しめているというのが現実なんだと思います。

 

まとめ

 

以前、「消費者として求めすぎた結果、労働者としての自分を苦しめている」という趣旨のツイートが反響を呼んだこともありますが、同じことだと思います。

 

学生としての時間を終えるぼくは、「早く働かなければいけない」という風潮に、いかに抵抗するかということと、「いかに勉強できる時間を増やすか」ということを考えてます。

学生でいる時間を延長するために、「留学」という選択肢と「留学費の貯金」という名目を使うことを選択しました。卒業後は派遣で働きつつ貯金しようと考えています。

 

「入社後に教える」というのがほんとに企業としてあるべき姿なのだとしたら、そうでない企業にいけないのだとしたら、それに抵抗してでも勉強し続けるのが、長い目で見たら自分のため、ひいては人のためになると思います。

 

ぼくは就職活動をしませんでした。卒業制作もやりました。

正しかったとあとで思えると、信じています。

 

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